樺太1945年夏 氷雪の門』

36年前にソ連の圧力により、わずか1週間しか全国公開されなかった幻の名作. これは樺太・眞岡郵便局で最後まで電話交換手を務めた9人の女性たちの「もっと生きたかった」という想いを丁寧に描いた日本の名作と断言できる映画です. そして日本人として絶対に見るべき、見て知るべき、見て怒るべき映画です. 製作費に5億円も掛け、陸上自衛隊の協力も得て撮影されたこの大作. 1974年の公開時の世界情勢を考えるまでもなく、まずこの映画を見ると日本人としてソ連が大嫌いになると思います. というのも8月15日の玉音放送により日本が白旗を揚げ、一切の戦闘行為を取らないと約束しているのも関わらず、ソ連は「負けた国に国際法はない」と鈴木参謀長を追い返し、白旗を掲げ交渉にきた10名の日本軍人を問答無用で銃殺し、逃げ惑う一般市民の背中を銃撃し、眞岡を始めとする樺太の町を破壊したんですよ. そんな卑怯者国家に怒りを覚えない日本人なんていますか? ただその一方で、この映画を見るまで沖縄以外で戦場になった日本の町があったというこの樺太の史実を知らなかったことに対しても、日本人として恥ずかしいと思うよりも申し訳なく思う気持ちでいっぱいになったのも事実. しかもこの映画がこの電話交換手を務めた女性たちを美化することなく、その「もっと生きたかった. けれど樺太のみんなのため、家族や友人のため、できることは最後まで果たそう」という彼女たちの想いを凄く丁寧に描いているので、余計に申し訳ない気持ちになるんですよね. 多分ソ連との陸続きの国境がある樺太で、電話交換手というあの時代では最新の情報を得れる立場にいた彼女たちの不安や苦悩というのは計り知れないものだったと思います. だって父親と娘が「生き延びろ」ということで怒鳴り合い・殴り合いの喧嘩をするなんて、電話の向こうから銃声が響く中から病気の母親や機関士である婚約者の最後の言葉を聞かなければならないなんて、つい先週まで空襲なんてなかった眞岡の町が火の海と化す中で「みなさん、これが最後です. さようなら、さようなら」と言わなければならないなんて、あまりにも辛すぎますよ. 彼女たち9人が青酸カリで自決したのは1945年8月20日. ゴルフ用品 2013 きっと「戦争は終わったはずなのに、どうして」という気持ちと「もっともっと生きたかった」という気持ちでいっぱいだったことでしょう. その気持ちを思えば思うほど、最後に眞岡郵便局から電話を受けた大泊郵便局長のように悔しい気持ちでいっぱいになりましたよ. 恵須取から逃げ惑う途中で2人の幼い息子を失った母親、発狂した母親を失った姉弟、敵を取りたいと出て行った16歳の息子を庇って銃撃された父親、電話交換手の女性たちを娘のように心配してくれた眞岡郵便局長など、様々な樺太で生きた人たちの苦悩を描きつつ、決して安易にソ連批判をすることなく、生前に村山三男監督が仰っていたように史実を伝えるレポートとして作られたこの映画. 36年前の古さなんて感じない、本当に36年経っても色褪せない魅力のある映画です. 是非36年分の怨念と共に、「日本人として」一人でも多くの方に見ていただきたいと心から願います. 深夜らじお@の映画館 が元町映画館で見た上映回はほぼ満席でした. ※お知らせとお願い ■ 【元町映画館】 8.21より開館! ■ 【ABCアシッド映画館】 の復活を.